痛みを止めるか、動かすか

私は今、軽い心で生きてる。
以前の自分からは想像できないぐらいに。

楽に、自然体で、軽く。

そうするために、手放した方がいいものがいくつかある。

手放すもの

人の目を気にすること。
執着。
依存。
常識。

でも手放すのは容易ではない。

ではなぜ、私がそれらの大部分を手放すことができたのか。
その経緯は、そのまま真似することはおすすめできないが、何かのヒントになればと思う。

最初の一歩は、無謀だった

学生結婚をして、職歴もないまま30歳を過ぎた私が、ずっとガマンしていた「専業主婦」と言う名の檻を飛び出した。

別に専業主婦が悪いわけではない。
私がその立場でいたのは、自分の選択としてではなくて、楽な方に流された結果だったからだ。
それに不満を持っていても、

「今さら仕事を探すなんて・・・」
「自分だけの力で生活していける自信がない」

そんな理由で、ただ日々を過ごしていた。

だけど転機が訪れて、飛び出した。
無謀だった。
でも、他の誰でもなく、自分でやり切った。
そこでひとつ、自信が付いた。

ただ、それ以上に大きかったのは、
それまで自分の中にあった前提が崩れたことだった。
私はずっとどこかで、

「自分一人では生きていけない」

と思っていた。

だから、不満があっても環境を変えられなかったし、その状態を受け入れるしかないとも思っていた。
でも実際には、外に出ても生活は続いた。

「できないと思っていたことが、できてしまった」

その感覚は、思っていたよりも大きかった。
それ以降、

「できるかどうか」

ではなく、

「やるかどうか」

で選ぶことが増えたと思う。

痛みは、止めると壊れる

だけどその大きな転機になった「大切なもの」を失う時が来た。
あれほど無謀な賭けに挑むきっかけとなったほどの、大切なものだった。
自分の人生の全てを賭けたと言ってもいいほどのものだったから、失った時の痛みは耐え難いものだった。

でも私はその痛みを、行動に転嫁して消化した。
どうしてそうできたのか、今でもわからない。
ただ、あのまま止まっていたら、壊れていたかもしれない。

私は自分を痛めつけるかのように体を鍛えた。

そして筋肉が付いた太ももを見て、山にでも登ってみようかと思った。

「死」が近くなると、優先順位は変わる


そのうち普通の登山道では物足りなくなって、ロープを使うような場所にも入るようになり、沢登りにも手を出した。
そしたら「死」が身近になって、全ての事には終わりがあると実感した。
だったら、いつかはなくなってしまうことに執着しないで、今を最大限楽しもうと思うようになった。

そのためには、人がどう思うかとか、普通はどうだとか、そんなことに構っていられない。

リスクを取っても、自分でどうにかできる自信もついたし、リスクの見極めもある程度できるようになった。
そうして自分の人生を再構築していった結果、今がある。

痛みをどう扱うかで、その後は変わる

もしあなたが、痛みを抱えているなら。
何か満たされない思いがあるのなら。

小さくてもいいから、一歩を踏み出す勇気を持てたら、何かは確実に変わる。
ただし、楽な方向に変わるとは限らない。
それでも、止まったままでいるよりは、ずっとマシだと思う。

そのプロセスはこう。

① 外に出る、環境を変える。
② 小さくてもいいから、自分で結果を出す。
③ 痛みは行動に変える。立ち止まらない。
④ 優先順位を付ける。人生は有限。
⑤ 人生の選択基準を、自分の外側に置かない。

私みたいに、ある意味破壊的なことをしなくても、どこか取り入れることができるポイントがあるかもしれない。
それで人生が楽しく、密度の濃いものになったら、こんな人生を暴露したことも、無駄ではなかったと思う。